【TED】明確なビジョンを持ったダンサー ウィルダビースト・アダムス

 

ロサンゼルス、ダンス業界を牽引するWilldaBEASTTEDに出てたので、これはダンスをやってる多くの人の他にも何かを始めようとしている人たちに有益になると思ったから艶子はプロの翻訳家じゃないけど、頑張って訳してみたよ。2017年「明確なビジョンを持ったダンサー」としてTEDに登壇。

 TED x Watts

「ロサンゼルスへ引っ越したいの?プロのダンサーになりたいの?どうやって?貯金もないし、資金があるわけでもない。フリースタイルのダンサーだけどすごい振付ができるわけじゃない。現地には知り合いもいない。頼れるエージェントがいるわけでもない。」

これが仲間や両親にさえにも言われたことだ。ダンスを始めたころから最近まで言われてきた。僕はダンサーで振付師で、クリエイター、イノベーター、ビジネスオーナー。今日は「自分自身のコーチになる」ということについて話したい。自分を駆り立て、自分のコンフォートゾーンから出てるか確かめる。飛び込む。自分の信念を飛び越える。今日は僕の人生について話そうと思う。目が覚めた時のことから話すと、僕にとってその日は2009年6月25日だった。

 フットボール選手の夢

その前に僕はずっと夢を見ていた。だから、夢を見ていた段階の話からさせほしい。みんな夢をもったことはある? 僕にとって夢っていうのはフットボールだった。スポーツがすごく好きでテレビに向かって毎晩叫んで・・・それが僕が好きなことだった。それが僕の人生だって思ってた。それを僕の仕事にしようって思ってた。エミット・スミスを崇拝してインディアナポリスへ引っ越した。その地区を知ってるならペイトン・マニングは神だねww(一部で拍手が起こる) 僕はそんな感じだった。それは明らかに僕に向いてなかった。だから君たちはNFLのスパースターになった僕を知らない。だけど、それが僕がやりたかったことだった。それは無理だって気付いた時、僕はシンプルに自分の夢と目標を変えた。そして変えても大丈夫だってことを自覚する必要があった。「俺には他に何ができる?」NFLじゃなくて他のことを見つけなくちゃいけなかった。

その頃、RIZE(ライズ)という映画が始まった。たぶん聞いたことがあると思うけど。すごくかっこいいダンスのスタイルがあって映画の中でそれをクランプって呼んでた。僕はそれに恋した。

それにR&Bシンガーのクリス・ブラウンが売れ始めの頃だった。僕はそれに魅了された。僕みたいにアスリートみたいな見た目で、すごいエネルギッシュに速く踊る。彼らはこのダンスのスタイルをやってた。僕は「ウィル、これは俺に出来る。これって現実的な目標だ。フットボールは無理だったけど、ダンスがあるじゃないか」って思って「これをやりたい、俺がやることはダンスだ」って感じになった。それで、僕は一歩下がって自分のコーチになって言った。「今が飛びこむ時だ。今が何か新しいことを始める時だ。フットボールは終わりだ」フットボールは終わったけど、僕はまだ夢を見続けていた。

 マイケル・ジャクソンの死

だけど、これが僕が目覚めた瞬間だった。アラームが鳴った。その時、僕はミルウォーキー(ウィスコンシン州)にいて、ちょうどダンスのリハーサルを終えた。ダンスの大会に行ってレッスンを受けてカッコイイやつを全部やってトレーニングをして。ある友達が「ウィル、家に帰ろうとしてるけど脚が痙攣してるんだ」って言った。つまりどういうことかって言うと、僕がマニュアル車を運転しないといけなくなった。一回もマニュアル車を運転したことないけど、その友達は今日帰るって言うんだ。結局それは全然良い案じゃなくて8キロ走るのにすごい何回もエンストした。それで何がリラックスできるか考えたら、僕には音楽だった。それで「音楽かけたら落ち着くからちょっと音楽かけさせて」って言った。

そしてラジオをつけたらアナウンサーが「マイケル・ジャクソンが心肺停止です」と言ったんだ。僕は固まって動けなくなってしまって手が震えだして瞬きが出来なかった。たぶんちょっと取り乱してた。胃が唐揚げとワッフルとタコスとピザをいっぺんに食べたみたいな感じだったのを覚えてる。そんな感じだった人もいるかもしれない。そして考え始めた。一体マイケルになにが起こったんだ。

なんとか運転して友達の家に着いてテレビをつけたら、マイケル・ジャクソンが亡くなってた。信じられない。エンターテイメントの世界や僕が知ってるダンスの世界もどうにかなってしまう。僕は立ち止まって考えた。少なくとも僕らが知ってる限り、世界中のお金やすごいお医者さん、すべてを手にした男。この人は50代で亡くなってしまった。これは僕にも起こり得ることだと思った。伝説の男で僕のヒーローのマイケルジャクソンに起こったんだ。僕にだって起こり得る。ただ違うのはマイケル・ジャクソンは、すごいものをたくさん残した。マイケルは全部やり遂げた。その時の僕は?全然だった。

 ロサンゼルスへ行く決断

その時が目覚めた時だった。自分自身のコーチになってその世界に飛び込むんだ。すぐに10人にメールした。「来月、僕らはロサンゼルスへ行かないといけない。今すぐ行くんだ。」3人だけ返信をくれた。他の人たちは僕の気がどうかしたって思ったんだろう。ただの中西部の子供たちが、その時から一緒にお金を持って近くに住めるロサンゼルスのスタジオを探して、エージェントを探して、必要なことは全部した。全部やったあとに親たちに「僕たちはロサンゼルスへ行く」って言った。僕の両親や友達は、僕に行ってほしいとは思ってなかった。僕がどうかしてるってまだ疑ってた。どうして?なんで?どうやってそんなことできると思ってるんだ?

それは僕が自分の言葉を受け止めて、「まだやっていない」に変えることを学んだ時だった。そして「自分にできるはずない」って言葉を「俺でもいいじゃなか」に変えた。『人が出来ないと言おうと気にしない。俺はまだやってないだけだ。俺は「なんで俺が?俺にできる?」とは言わない。俺でもいいじゃないか。誰がやらないといけないだろ』とそうやって自分自身に言った。

そしてロサンゼルスへ来て、すごく頑張った。みんなが共感できるか分からないけど、僕は自分が嫌いなことをするのが嫌なタイプで、苦痛になるタイプ。だから新しい世界で頑張り続けることはとても苦痛だった。だけど必要なことは全部やった。それはもっと他の仕事を呼ぶことになった。ザ・プライス・イズ・ライト、Judge Judy(裁判番組)、Dr. Phil(心理学者がやるトーク番組)。これは僕が世に出る前のこと。だから5~6年前のことになるかな。

 自分自身のコーチになって飛び込む

毎日働いて50ドル作って家賃を払えるようにした。君たちのことは知らないけど、好きな数字はある?僕の好きな数字はステファン・カリーの30。すばらしい人。だけど、自分の好きな数字をいつも考えてる?僕がとにかく好きな数字は362.50ドル。それが最初にロサンゼルスへ越してきた時の家賃だったから。今となっては大した金額じゃないけど、その時はロサンゼルスの新参者の大学生にとっては、すごく大変だった。でもなんとかした。どうにかできる方法を探した。全部やることはやって、僕はロサンゼルスにいる。いろいろやって一生懸命働いている。そして自分に利益が出るようにマインドセットし始めた。飛び込んだから。自分自身のコーチになって、自分を駆り立てて。すごく大変だったけど、起こり始めた。ジェイソン・デルーロUsherBlack eyed peas、とかのミュージックビデオに出れるようになった。2010年。

そしてT-Painのオンラインコンテストに登録した。とっても短く話すと彼のワールドツアーに参加した。僕はその業界で働いてると胸を張って言える。ロサンゼルスに来て、両親や友達が間違ってたってことを証明した。「お前にそんなこと出来ないだろ」って言ってた友達に「見ろよ、俺はT-Painのツアーに行ってるんだぜ。俺には出来た」ってね。クリス・ブラウン、Black Eyed Peas、Ne-Yo、他にも何人か。ついに僕は継続的に仕事できるようになった。ロサンゼルスへ来たりエンターテイメント業界で継続的に仕事するのって、とっても大変なんだ。だから、続けられる仕事がきたら、しがみつく。だけど、クレイジーなウィルダ・ビーストは、幸せじゃなかったんだ。2年間たくさんお金を作って、エージェントがあって、すべて順調。でも自分の中の何かが「もう一度、一歩下がって自分のコーチになれ」と言うんだ。「これはコンフォートゾーンだ。コンフォートゾーンから出るんだ。飛び込め。もう一度、飛び込むんだ!」

 ツアーの仕事を辞める

それで、友達や彼女、親友に話した。「僕はこのツアーを辞めようと思う」

彼らは「ちょっと待って、ハッピーじゃないの?これがやりたかったことじゃないの?」と言った。「そうだけど、僕の中の何かが自分のためにリハーサルしたっていう感じがして遊園地のジェットコースターに乗ったとき胃が落ちそうになるああいう感じだった。そう感じて解決できなかった。でもついに解決して僕は言った。「あの振付師、あのクリエーティブディレクター、あの音楽監督、あそこにいる何やってるかわからないけど、いつもこの業界にいて何かを書いてるあの人。あの人たちの仕事を俺はできる。」彼らより上手く出来るとか言ってうぬぼれていたわけじゃなくて、僕の頭と心の中では、彼らと同じぐらい良く出来るってわかってた。そして僕はダンサーと言われるようになってた。ダンサーでいることは特にツアーでは本当に素晴らしいことだけど、僕にとっては物足りなかった。僕の中の小さな声が「ウィル、もっとできる」って言うんだ。神様が僕に「もっとできる」って言ってるみたいに感じたんだ。それで僕は仕事を辞めた。もう一度飛び込んで、自分自身のコーチになった。「次は何をする?」ロサンゼルスに戻ってツアーを辞めて人にお願いし始めた。いろんな人にお願いした。「ダンスを教えてもいいですか?」

デビー・レイノルズ・ダンススタジオにお願いした。ミレニアム・ダンススタジオにお願いした。IDAダンススタジオにお願いした。僕が教えれそうなすべての場所にお願いした。僕が教えたことのないスタジオに。

あの子は何してるんだ?小さくて、黒くて、チートスみたいな短い髪の彼は何をしてるんだ?そんな感じだった。誰も僕が誰か知らなくて、充分な信頼もなかった。でも僕はわかってた。見てたら分かる、見せてあげるよってね。そして、ついに教え始めた。5人の生徒たちに教えることから始めた。1年半継続的に。全部ぼくの友達。新しい生徒じゃない。(会場に少し笑いが起こる)

そして4年後の今、ロサンゼルスに100人以下の僕のクラスは1つもない。さらにまた飛び込む。よし、ネット上に動画を投稿しよう。当時それは、かっこいいことじゃなかった。「お前がやった仕事を誰かが盗むんじゃないか?」みたいな感じだった。だけどとにかく僕はやる。投稿した3つは悪くなかった。ビヨンセのUpgrade Uのダンスの動画を投稿した。

1週間で3万再生、2週間後10万再生、1か月後100万再生。今は、一番YouTubeで見られてるヒップホップダンスのレッスンの動画で、ビヨンセの公式動画より見られてる。(会場に拍手と歓声が起こる)

備考:2018年4月中旬現在でビヨンセ公式113,679,110再生、ウィルダビーストによるダンスレッスンの動画111,139,643再生でほぼ同じくらい。ともに1億再生超え。

 コミュニティーがひとつになる場所

僕はみんなを家族みたいに感じてるから、僕が清水の舞台から飛び降りなければいけなかったこと、その結果がどうだったかを言ってシェアしている。さらにもう一つ言うと、その過程の期間、僕はダンスの団体(=会社)を作り始めたかった。コミュニティーはひとつになることが必要だった。すごく沢山の子供たちがいて、ブリトニーやUsher、ミッシー・エリオットのスーパーボール、SiaのThe greatestのミュージックビデオ、クリスブラウンとアッシャーのParty(というミュージックビデオ)。僕の子供たちがあちらこちらで踊っている。だけど彼らは1つじゃないんだ。彼らはただ仕事に行って、お互いに競い合って帰る。彼らには普通の子と同じだと感じさせる何かが必要だった。この子たちは僕が育ったようには育ってないから。僕は大人になってからロサンゼルスへ移動した。彼らは毎日お互いに競い合っている世界にいる。だから僕に団体を始めさせてくれ。インスタを毎日更新して(と言いながら、とっても嬉しそうな顔をするウィルダさん)ある投稿をした。「immaBEASTっていう僕の会社のオーディションに来て!」

300人がそのインスタの投稿からオーディションに来た。これは僕がやろうとしてることを神様が喜んでるサインだって思った。

4年前からロサンゼルスで1週間を通してBuildaBEAST Experience(ビルダ・ビースト・エクスペリエンス)というイベントをやっている。1週間を通して25カ国から、このオーディションのために1000人以上のダンサーが参加している。そのオーディションのために3000の動画をみんながアップした。これは僕の業績じゃなくてご褒美のしるしみたいに感じるんだ。何度も清水の舞台から飛び降りたことに対するご褒美。

 失敗することもある

正直に言うと、いつもこういう感じっていうわけじゃない。何かをやろうとして、こうなるはずだって思っても完全に失敗することもある。でも人生を変えるためにはオープンにならないといけない。いつも安全策を取って続けられるわけじゃない。自分のコーチにならないといけない。自分自身と現実的になって「これをずっとやってるだろ、長すぎだ。他のことをやり始める時だ」って言うんだ。成功できたこと全部、僕にとって素晴らしいことだった。とっても幸せだし恵まれてる。だけど、それって僕ウィリアム・アダムス自身より大きいし、willdaBEASTより大きいんだ。自分のコーチになることは、過程を楽しみ始めることだった。僕はオーディションにかかわれることを2、3年楽しんだ。

この会場で筋トレをしている人がいるかわからないけど、腹筋をするとき脂肪が燃え始める。どの時点にいるかは関係ない。その後すぐ、どのくらいやるかだ。それが結果になる。それが物事を変える時だ。だからその過程だ。例えば走っている時、この長い距離は嫌だって感じの時がある。でも自分自身を変えることや自分の人生を変えることに恋をしないといけない。

面白いのは、今となっては両親が一番に「テレビ見たよ!」「ダンス番組の観覧チケットをとってよ」っていうんだ。(とても優しい顔で言うウィルダさん)でも彼らは最初は全然信じてなかった。彼らが間違ってることを証明してるわけじゃなくて、ただこうやって生きてたら、みんながこういう風に生きてたら変えたいもの何でも自分の変えたいものに変えられるという自分自身への証明だった。だから僕はこう言う。

合言葉を「まだやってない」に変えるんだ。
来年のグラミー賞のディレクターになれるはずないんじゃなくて、まだなってない。
50回連続バク転ができるはずないんじゃなくて、まだやってない。
「自分にできるはずない」を「自分でもいいじゃないか」に変えるんだ。

いったいどうやってレコード会社と契約できるんだ?とかじゃない。
「自分でもいいじゃないか」に変えるんだ。誰かがやらないといけないだろ?
この中の誰かが命を救う未来のお医者さんになる。
この中の誰かが子供の人生を変える未来のソーシャルワーカーになる。
この中の誰かが30個のグラミー賞を取る未来のアーティストになる。アデルになるんだ。
この中の誰かがNBAの最初の女性選手になるかもしれない。

だから俺は出来ないって自分自身に言わない。自分に「なぜ」って聞かない。俺はこう言う。次のスティーブン・スピルバーグ、次のジェイミー・キング、次のDiddy(アメリカのラッパー)、次のマーク・ザッカーバーグに俺はなれるって。

自分を駆り立て、自分自身のコーチになるんだ。コンフォートゾーンから出てるか確かめるんだ。自分を信じて。もし夢や目標があって、もしそれが叶わなくても大丈夫だ。それが終わりってわけじゃない。諦めて落ち込む必要はない。もし僕みたいにNFLの夢を叶えたいなら、もしかしたらエージェントになるべきかもしれない。もしかしたら、スポーツライターになるかもしれない。もしかしたら、選手になる代わりにチームのオーナーにチャレンジするかもしれない。

合言葉を「まだやってない」に変えるんだ。「自分にできるはずない」を「自分でもいいじゃないか」に変えるんだ。そして覚えておいてほしいのは死んだとき、YouTubeの再生回数やインスタのいいね、お金、車、服、曲の売上、そういうのは持っていけない。

だけど、自分でコントロールするんだ。ここにいる間はみんなにどんな風に感じさせたか思い出すことができる。だからこの地球上に生きている間は、一番いいバージョンのあなたを創造してほしい。

 あとがき

日本語の言葉選びって時々めっちゃ難しい。。翻訳家のみなさん、いつもありがとうございます!的な気持ちになった。聞いて楽しむ分にはいいけど、書き起こしてさらに人に分かりやすくしようとしたとき、大変だった。例えば「whyを Why notに変える」という発言を訳すのにwhy と why not の違いを日本語で説明しようとした時、なんて書いたら自然な日本語として聞こえるのか、すっごく迷った。

めっちゃ頑張ったから、このTEDを見た誰かがインスパイアされたら嬉しいなー。

海外のダンサーたち一覧




シェアする

フォローする

スポンサーリンク

トップへ戻る